2011年09月30日

アウシュビッツ強制収容所

目が覚めて気づけば明るくなっていた。
同じ部屋のオッチャン2人はすでに起きていた。

時間は朝の7時前。ポーランドのクラクフへと到着した。
今までとは違い、何か暗い雰囲気がのしかかったような印象を受ける街。


とりあえずは宿に荷物だけを置いて、一か八かで列車へと乗り込んだ。
(雨だったら行きたくなかったけど、すごく微妙な天気だった・・・)

行き先はオシフィエンチム
ナチスドイツによってつくられた負の世界遺産、アウシュビッツ強制収容所のある所だ。ナチスが行ったとされるホロコーストの象徴的な場所として有名な場所。


列車でクラクフから1時間半以上かかる。
そして駅からは何の案内表示も無いのだけど、なんとか歩いて到着。
駐車場にはびっくりするぐらいたくさんのバスや車が停まっていた。
アウシュビッツ強制収容所
到着したのは11時前。ウワサ通り、今はシーズンで訪れる人も多いようで、ガイドツアーに参加しないと廻ることはできないようだった。
30分以上列に並んでようやくチケットを購入。最初に映像を見た後、収容所内へと入っていく。

入るとすぐに、有名な『働けば自由になる』のゲートがある。
アウシュビッツ強制収容所

本来重苦しい雰囲気の漂っている場所であるはずのこの場所だが、あまりの訪問客の多さにその重苦しさも幾分か打ち消されてしまっているようだった。
アウシュビッツ強制収容所

あまり実感もわかないのだけど、第二次世界大戦の5年間で、ユダヤ人が150万人殺されたとされている。(数字については当初ソ連が400万人としていたり、一部のユダヤ人は600万人と主張していたりで、様々な主張がある。)

しかし、ハッキリ言うと自分自身、現在のイスラエルの所業を知ってから、大虐殺が本当に起こったのか疑問を持たずには居られずにここまで来た。

アウシュビッツ強制収容所
有刺鉄線に囲まれた敷地内には、たくさんのバラックが建ち並んでいる。
その中は、収容者の過ごした寝床やトイレなどの、生活環境の展示や、

アウシュビッツ強制収容所 アウシュビッツ強制収容所

ユダヤ人から押収したとされる物品や、髪の毛等の展示が目立ったものとしてある。
アウシュビッツ強制収容所 アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所

しかし、勘違いしてはいけないのは、
ここにこれだけのモノがあるからと言って、その全員がここのガス室で殺されたという方程式は成り立たないということだ。
髪の毛を切られたり、靴を取られたからと言って、そのこと=その人達が全員虐殺されたと論じるにはあまりにも話が飛びすぎている。ここの施設では、戦後出てきた様々な証言の説明とそれらの物品を組み合わさることで、あたかもそのようであったかのように思わせるようになっているよう感じられる。


これがガス室で殺人に使われたとされる、チクロンBの錠剤。
アウシュビッツ強制収容所
当時ユダヤ人の間で大流行していた発疹チフスへの対策として用意された殺虫剤だ。
缶から出して加熱すると青酸ガスが発生する。しかし、指定の方法で行ったとしても蛾を殺すのに24時間かかるようなモノで、短時間における大量虐殺が可能だったのだろうか。
本当に大虐殺をするつもりなら、自分ならもっと即効性のある毒を使う。


そしてここが、そのガスが投げ込まれたとされるガス室である。
アウシュビッツ強制収容所
この広さなら、詰め込んでも100〜200人だろう。
部屋には窓一つ無く、換気扇すら無い。空気の入れ換えも出来ない(ガスでの殺戮後すぐに人を入れ替えることができない)所で、さらに燻蒸に丸一日かかるような毒を使用しているのなら、少なく見積もっても1日に1回以下しかガス室は使えないのではないか。

そしてその隣には4つの焼却炉がある焼却室がある。

アウシュビッツ強制収容所

仮にこの場所で150万人が第二次大戦の5年間で殺されたとすると、
平均すれば1日につき800人程度が殺されていたことになる。

アウシュビッツ強制収容所
今アウシュビッツにあるガス室は1つで、上の写真のような焼却炉が同じ建物内に4つあるだけだが、当時はもっと同じような建物があったとする主張が本当だったとしても、上に述べたように一つのガス室を一日一回しか使えない計算で言うと、1日に4つの焼却炉で100〜200人を焼かなければならない。そうすると少なくとも死体1人あたり1時間以内で焼くことになるが、
現代の火葬場でもそんな短時間に作業は終わらない。

また、敗戦色の濃くなったドイツが降伏まで毎日800人の死体を焼くために大切な燃料を使い続けたということも考えにくい。

1時間半ほどでアウシュビッツのガイドツアーは終了。
ガイドの説明を聞きながら、今述べてきたような疑問で頭がいっぱいになった。
ここにたくさんのユダヤ人やその他政治犯が収容されて、物品を没収され髪を切られたりしたことや、理由はどうあれこの場所で死んだ人もたくさん居ることは確かだろう。しかし、今言われてるようなことが全部真実であったかどうかは自分にとってはとても疑わしく感じられたというのが感想だった。

去年、世界の現実を知りたいと思って中東諸国を廻った。
現在、ユダヤ人達が世界一の人口密度であるパレスチナのガザ地区を封鎖して大収容所と化してやっていることは、まさにホロコーストと同じ大虐殺行為であり、自分達がやられたという大虐殺に、今ユダヤ人達が自らが手を染めている。
そんな人間達の主張するような歴史に信憑性なんてあるのだろうか?
『ホロコースト』という現在作り上げられている歴史が、今のイスラエルの所業の免罪符として利用されているような気がして納得がいかなかった。

現在『イスラム=悪・テロリスト』というようなイメージが作り上げられてしまっているこの世界において証明されるように、マスコミによって伝えられることは真実と受け止められがちだ。そしてそれによって形作られて行く歴史も同じだと思う。
様々な証言と、食い違う現実が存在するように、歴史とは被害者(勝者)の都合の良いように作られるものだ。戦前に受けた被害が酷ければ酷い程、戦後にできる主張や要求は大きくできる。


ひねくれてると思われるかもしれないが現在でもホロコーストに疑問を持つ声はたくさんある。
何よりこの考えの根底にあるのは、この歴史に関する議論ができないことにあるのだと思う。ヨーロッパの国々では議論そのものが処罰の対象になるケースが多い。
そのような状況で本当に真実の歴史など検証できるはずもない。


ただ、差別・隔離政策によりたくさんの収容者が連れてこられたことは確かなこと。
アウシュビッツから3km程の所にあるビルケナウ強制収容所
ビルケナウ強制収容所
列車の引き込み線のあるこの死の門を映画などで見たことのある人は多いと思う。
この先どのようなことが待ち受けるのかもわからずこんな所に連れてこられた人の恐怖はすさまじいものだったことだろう。

戦争に悲劇は付き物だし、2度と起きないようにすることは大切なこと。
しかし、本当の歴史がきちんと検証され共有されない限り、人々の間にいつまでも軋轢は残るだろう。そうなると人間は同じ事をまた繰り返してしまうのではないか。今のイスラエルのように・・・。
そう感じずには居られないのでした。

本当に世界の人々が手を取り合って平和に過ごせる日が来ますように。
ビルケナウ強制収容所

2011.07.26
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2011年10月01日

クラクフ

アウシュビッツに行った後、バスでクラクフへと帰る。

アウシュビッツで出会った学生の男の子と街中をウロウロしていた。
一応この旧市街も世界遺産に登録されている。
美しいこの街は第2次大戦でも奇跡的に破壊から免れた。

旧市街の中心にある広場の建物にある土産物市場
クラクフ

なんとここでユーミンと再会exclamation×2
ウィーンで別れたけど、向こうはハンガリー経由でやってきて、ここで再び遭遇。

旅をしてるとこういうことはよくあるけど、
『みやげ物売ってるトコに行けば絶対見つかると思った!』
と言われた自分は一体どうゆうイメージされてんだ・・・?


ここの土産物市場で売ってるものは、今までとはやっぱり雰囲気が変わる。
クラクフ

慣れない防水カメラで撮ったのでブレブレやけど・・・
クラクフ
かわいい木箱やマトリョーシカみたいな感じのやつとかが目立ったような。


その後、3人でご飯食べる所を探していると後ろから突然声をかけられた。

何かと思って振り返るとポーランド人の女の子3人組。

シャツには『I黒ハートJAPAN』と書いてある。
すさまじいテンションの彼女たち。めちゃくちゃ日本好きらしい。

3人で日本語で会話してるだけでもめちゃくちゃ喜ばれる。
自分達がクレイジーじゃないことをしきりに訴えていた。


『日本語がとても美しいから、聞けるだけで嬉しい』そうだ。
コテコテの大阪弁とすごいナマリの熊本弁の会話やのに・・・笑

クラクフ
それにしてもこれで高校生とか、かなり大人っぽい。。

出身地が『大阪』と言ってキャーー!!と歓声が上がったのは初めてだった。
(『熊本』は彼女達のアンテナにはひっかかってなかった)
でもこんな遠い地でもこんなに日本が好きな人が居て、こうやって声をかけてくれるのはとても嬉しい。


『日本の何が好きなの?』と聞いてみると、
基本マンガやバンドが多かったのだけど、1人『やおい』と答えていた。


おいおい・・・たらーっ(汗)

すさまじいテンションのままお別れして、その後ポーランドの郷土料理のお店へ。
クラクフ
パスタを頼んだらこんなのが出てきた。

2人は夜行でプラハへ向かうのでご飯を食べた後別れ、1人街歩き。
クラクフ

夜のクラクフの街も美しいぴかぴか(新しい)
クラクフ

たくさんの人が広場でくつろいでいた。
今日はよく歩いた〜〜!!


2010.07.26
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2011年10月03日

ヴィエリチカ岩塩坑

朝からしとしとと雨が降っていた。昨日アウシュビッツに行っておいたのは大正解だった。
というわけで、今日も列車に乗って近郊の町へお出かけ。
向かった先は世界遺産 ヴィエリチカ岩塩坑

列車なのはいいけど、同じ駅名の駅があったので、その駅で降りたら
なんと1つ前の駅。なので20分ぐらい歩く羽目になってしまった。

違う駅に同じ名前使うのいい加減やめてほしい。ややこしすぎる。。

ゲートに到着すると長い列ができていたのでスペイン語ガイドツアーには間に合わず。。
しかし、昨日アウシュビッツで同じガイドツアーに居た日本人のおばちゃん2人がたまたま列にすでに並んでいたので、一緒にチケットを買ってくれた。なのであまり並ばずに済んだ。ラッキー♪

施設内に入ると、ひたすら階段を降りさせられる。
ヴィエリチカ岩塩坑
何百メートルあるんだろうっていうぐらい長く感じる。

そしてやっと底に着いたら、坑道を歩いて行く。

ヴィエリチカ岩塩坑

しばらく歩いてると現われてくるのは、
歴史や神話のいろんなモチーフを象った彫像。
ヴィエリチカ岩塩坑
坑夫達が彫ったものらしい。すごいexclamation×2


しかし、展示ばかりが続いて滑り台はない。
ハルシュタットのようなアトラクション性は皆無。

ヴィエリチカ岩塩坑

ライトアップされて綺麗な通路。
ヴィエリチカ岩塩坑

しかし、フラッシュを炊いてみると実際は本当に
ヴィエリチカ岩塩坑

所どころにある小人の人形達。なんだこりゃ(笑)
ヴィエリチカ岩塩坑

途中で出てきた塩で出来たシャンデリア
ヴィエリチカ岩塩坑

そしてその先には、一番と見所となる、塩の教会
ヴィエリチカ岩塩坑

坑夫達が信仰をもとに作り上げたこの坑道と礼拝堂。
そこには、塩であることが信じられない程に繊細で緻密な彫刻が施されていた

ヴィエリチカ岩塩坑

旧約聖書に則して彫られた壁の彫刻。
ヴィエリチカ岩塩坑

1つ1つが本当に見とれてしまうぐらい美しい!!
ヴィエリチカ岩塩坑

惜しみつつ教会を後にして、進んで行く。なんか床も塩の結晶っぽくなってきた。
ヴィエリチカ岩塩坑

坑道の中にはやけに広い空間もあり、結構びっくりする。
ヴィエリチカ岩塩坑

最後にはレストランも併設。こんな地下なのに何でもあるな・・・。
ヴィエリチカ岩塩坑

そして小さな小さなエレベーターで地上へ。
ヴィエリチカ岩塩坑

塩坑から出た後はおばちゃん2人としばらく話した後バスでクラクフへ。
クラクフへ着いたらまた土砂降りになってしまったのだけど・・・
しばらくお土産物でも探した後、駅へと向かった。


そしてまた夜行列車に乗り、ブダペストへと向かう。
同じ部屋にはポーランド人の男の人。津波やらなでしこJAPANの話をしていた。
昨日声かけられた女の子達がポーランド人は日本が好きな人が多いと言っていたが
本当に日本のことを心配してくれてる人は多いのだなぁと感じた。


2011.07.27
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