2011年10月08日

サラエボへ

ブダペストから列車で丸1日かけて移動してきたのは、
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ


何と言ってもサラエボ事件やボスニア紛争のイメージが強く、怖いイメージがある。
旧ユーゴスラビア連邦において、他の5共和国が民族主体で構成されたのに対し、この国だけは地域主体でつくられた
それ故に、この国はイスラム教・正教会・カトリック教会・ユダヤ教等の宗教と、ボシュニャク人・クロアチア人・セルビア人等の民族が混在する国となった。


本当は行く予定ではなかったのだけど、予定より日程的に余裕ができたのと
元々行きたかったのもあって、急遽この国にも立ち寄ることにした。
とは言え、サラエボはそんなに大きな街ではない。旧市街は駅から30分程歩いて行く。
サラエボ

途中にある『永遠の灯』。戦争で犠牲になった人へ捧げられている。
サラエボ

旧市街に入ると商店が並ぶ。しかしこの光景は・・・まるで日本・・・!?
サラエボ

そう、日本の門前町のような雰囲気なのだ。
こんなヨーロッパの端っこでこんな風景に出会うとは思わなかった。
文明の交差点と言われるだけあって、東洋の雰囲気が強く感じられる。
土産物の雰囲気も今までの国とはガラっと変わっている。

サラエボ

外国に居るような気がしなくなってくるから不思議だ。
しかし、この通りの裏にはイスラムのモスクユダヤのシナゴーグがあったりして、そういう所を見るとやはり外国なのだと思わされる。
サラエボ

そして、旧市街のはずれには、一つの橋がある。
サラエボ

1914年ここでセルビア人青年がオーストリア皇太子を暗殺。

そう、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の現場だ。
なんの変哲もない小さな橋だが、ここで起きたことは世界を大きく動かした。
まさに歴史の舞台。橋の袂にはサラエボ事件発生の碑文がある。

サラエボ

そして、すぐそばには博物館が建っている。
サラエボ

外に掲示されている資料でも、当時の様子をよく知ることができる。
サラエボ

その後は、旧市街で出会った日本人2人とタクシーでオリンピックスタジアムへ。
サラエボ
ここは、紛争で破壊され、今は紛争の犠牲者の墓地となっている。
様々な宗教の格好をした人たちが周辺へお参りに来ていた。


市街に戻った後、新たなランドマーク、ツイストタワーへ。
サラエボ

ここからは、サラエボの市街の全景を望むことができる。
サラエボ
紛争中も営業を続け、世界各国のジャーナリストの基地となった黄色いホテル。
その前にあるスナイパー通り。戦時中、この通りの動くモノ全てがセルビア人による狙撃の対象となったことによってこう名付けられた。悲しい歴史の1つだ。


しかし、数年前まで紛争が起きていたと信じられないぐらい治安の悪さも感じられず、
人々はびっくりするぐらいとても親切だった。


暗い歴史を乗り越えたからこそ、この国の人々はこれから先、より強くたくましく平和な国を作っていくことができるだろう・・・そう信じたい。
まだGoogle Mapにも詳しい地図が表示されないこの国。
ここに住む人々がこれから素晴らしい国をつくっていってくれることを願っています。


2011.07.30-31
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posted by がちゃ at 23:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | ボスニア・ヘルツェゴビナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
Posted by 株の初心者 at 2014年06月14日 11:04
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